景徳鎮の陶器

陶磁器発祥の地、中国景徳鎮市をご紹介いたします。

Chinaの2つの意味「中国」と「陶器」

景徳鎮

英語で陶磁器や焼き物の事を総称で「CHINA」と呼びます。
このルーツを辿ると、ペルシア語で「中国製の磁器の総称」の意味から来ているようです。

景徳鎮は、中国での陶磁器の発祥地と言われており、CHINAという言葉は、当時の景徳鎮の呼称である昌南(CHANGNAN)が訛ってCHINAと呼ばれ始めたと言われており、当時は「中国=景徳鎮=陶磁器」と言っても過言ではなかったようです。

そして、ペルシア語はペルシア帝国から使用されている非常に歴史の古い言語でもあります。
遡ること約1700年前、東晋の時代紀元326年に昌江之南(昌南)が置かれた事を起源としているので、それだけ景徳鎮の歴史の古さも窺う事が出来ます。

陶磁器発祥の地、景徳鎮の歴史

陶磁器発祥の地、景徳鎮の歴史

景徳鎮は漢の時代から陶器の生産がすでに始まっており、今日まで1700余年の歴史があります。

景徳鎮の近隣の高嶺山から品質の良い焼き物の原料である「高嶺土」が多く産出されます。
「高嶺土」は鉄分の含有量が低く、磁器を造る原料として非常に適した土とされ、後にフランスの陶磁器会社がこの土を「カオリン」と命名し世界中に広まっていきました。

陶磁器発祥の地、景徳鎮の歴史

宋代の景徳年間(1004-1007)には宮廷から宮廷用の陶器生産を監督する役人が派遺され、出来上がったものの底に一つ一つ「景徳年製」の年号を付けていたといわれています。
この時代の陶器は天下の人々から愛用され、真宗皇帝の詔勅によって昌南鎮という旧名から景徳鎮と改名されました。

元代には景徳鎮で「青花」という染付の技法が開発され、それまで単色だった陶器はから鮮やかな彩色の陶器製造の時代に入ります。
「青花」とは白の下地に青の紋様が描かれ、素樸で上品、清楚で古雅な趣が感じられる技法です。この青花瓷器は「玲瓏瓷」「粉彩」「顏色釉」と合わせて、景徳鎮の四大伝統的な名瓷になっております。
人々は景徳鎮の陶磁器の風格を「玉のような白さ、鏡のような明るさ、紙のような薄さ、磬のような音色」と表していますが、まさにその通りです。

陶磁器発祥の地、景徳鎮の歴史

今も景徳鎮陶磁器博物館に所蔵されている清の時代の作品「薄胎磁器」は卵の殻のように薄く、全体にわたって透明感があり、手に持ってかざせば指紋まで見えるほどです。

このような歴史ある技術は現代まで受け継がれ、景徳鎮は世界的にも有名な陶器の生産地となりました。

現在の景徳鎮

現在の景徳鎮

現在の景徳鎮の人口は60万人居る中の5割の人が陶磁器関係の仕事をしています。
以前まで陶器工場は大小合わせ、5000以上ありましたが、2012年頃から環境の問題を重視され始め主に町中の工場など閉鎖されたことから、現在(2017年)は半分以下になったと言われています。

陶磁器の町らしく、大通りの街灯や建造物にも陶器が用いられ、「景徳鎮陶磁器博物館」や「磁器街」「国際陶磁器博覧センター」などが景徳鎮の陶磁器の歴史を物語ります。
「景徳鎮国際陶磁器節」では定期的に「陶磁器芸術祭」が行われ、陶器の磁器歴史と陶磁器文化を広める活動が行われています。

また、景徳鎮市内には「景徳鎮陶磁学院」を代表する陶磁器を専門学科とする学校が多数あり、多くの学生が陶器の製造技術を学びます。
このように景徳鎮で働く職人は、陶器の歴史ある町で、伝統的な技法だけでなく、世界の近代的な技術を取り入れて高品質な陶器を作り続けています。

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